日曜の午後、娘が言った。
「キラキラのおりがみが、ほしい」
子供の「欲しい」は、唐突で、純粋で、時に親を試す。
スーパーのアイス、駅前のガチャガチャ、動画で見たおもちゃ。その物欲のシャワーを浴びるたび、親である私は自問自答を繰り返す。これは本当に必要なのか。ただの無駄遣いではないか、と。
特に「ガチャガチャ」には、私なりの明確なルールがあった。原則、やらせない。
手に入れる瞬間が熱量のピークで、あとは部屋の隅で忘れ去られる運命。その「欲求→消費→忘却」という刹那的なサイクルに、意味を見出せずにいたのだ。
だが、そんな私が先日、娘の「欲しい」をきっかけに、新宿・世界堂である“宝物”と出会った。そして、子供の物欲に対する考え方が、根底から覆された。
これは、たった一枚の折り紙が教えてくれた、「消費」と「創造」を見分ける物語である。
文具の聖地で出会った、常識外れの「光」
始まりは、娘の素朴な願いだった。「キラキラのおりがみ」を探しに、私たちは新宿の世界堂本店へ向かった。絵描きやクリエイターたちの熱気が渦巻く、まさに文房具の聖地だ。
3階の売り場で、娘はすぐにお目当ての「キラキラ」を見つけ出した。ホログラム、メタリック、両面カラー。その輝きの洪水の中から、宝物を探し出すように何種類か手に取る。その真剣な眼差しは、すでに小さなアーティストのそれだった。
「1階の画材コーナーにも、特殊な紙がございますよ」
店員さんのその一言が、私たちを新たな発見へと導いた。
1階。そこに並んでいたのは、私たちの常識を覆す「紙」だった。
“暗闇で光るおりがみ”。
太陽や照明の光を蓄え、暗闇でぼんやりと緑色に発光する、蓄光タイプの紙だ。
「なにこれ、光るの!?」
キラキラ好きの娘より先に、私の心が色めき立った。自ら発光する折り紙など、見たことも聞いたこともない。
娘は、その価値を説明抜きで理解したようだった。
さっきまで吟味していたキラキラの折り紙と、この光る折り紙。その両方を、小さな両手に握りしめる。
- キラキラのおりがみ(昼を彩る光)
- 光るおりがみ(夜を灯す光)
昼と夜。対極にある二つの光。
彼女の小さな頭の中で、どんな物語が紡がれ始めたのか。言葉にはならないその感覚的な選択に、子供が持つ感性の純度を見せつけられた気がした。
創造はいつも“謎”から生まれる
帰宅後、娘はさっそくキラキラの折り紙を広げた。
折り方の本は見ない。何かを思い出し、何かと格闘するように、はさみとテープを手に没頭し始める。
「なに作ってるの?」
その小さな世界を壊さぬよう、そっと声をかける。
娘は顔も上げず、一言だけ放った。
「クラッカー!」
クラッカー?なぜ、今。
親の頭には「?」が浮かぶが、彼女の中には明確な設計図があるらしい。途中で「ひもをつけたい」と言い出し、妻に「猫が食べると危ないから」と却下される一幕もあった。
大人の世界は、いつだって現実的な制約に満ちている。
だが、彼女はそこで止まらない。ひもがダメなら、どうするか。しばらくの沈黙の後、折り紙だけを巧みに操り、見事にそれを完成させてみせたのだ。
この光景に、私はハッとした。
我々大人は、子供の行動にすぐ「意味」や「理由」を求めてしまう。なぜそれを作るのか、何に使うのか、と。
だが、子供の創造の世界に、大人の理屈など不要なのだ。
理由なき衝動、意味不明な没頭。それこそが、創造性の源泉なのである。
光が変えた、夜の静寂
そして、もう一つの宝物。「光る折り紙」の出番は夜にやってきた。
娘に促されるまま、私は折り紙を照明にかざして光を蓄えさせる。
「ちゃんと光るかな」
半信半半疑で枕元に置くと、それはぼんやりと、しかし確かに、優しい光を放ち始めた。
いつもなら「まっくらだと、こわい」と常夜灯を求める娘が、その日は違った。
枕元に浮かぶ3つの小さな光。まるで守り神のように鎮座するそれを見つめ、娘は静かに言った。
「きょうは、これでねる」
自ら常夜灯を消すよう促し、部屋はいつもより深い闇に包まれた。その静寂の中、折り紙の光だけが、星のかけらのように瞬いている。娘はそれを大事そうに胸に抱き、やがて安らかな寝息を立て始めた。
たった数百円の紙切れが、娘の「暗闇への恐怖」をいとも簡単に消し去ってしまった。
モノの価値は、値段や機能では測れない。そのモノと子供の間にどんな「関係性」が生まれ、どんな「物語」が紡がれるかにこそ、本質がある。
「消費」で終わるか、「創造」につながるか
今回の体験は、私が頑なに拒んできた「ガチャガチャ」との対比で、物事の本質をよりクリアにした。
ガチャガチャ(消費) | 光る折り紙(創造) | |
ゴール | 手に入れること | 手に入れてから始まる |
プロセス | 開けて満足、すぐ飽きる | 試行錯誤し、世界を広げる |
関係性 | 一方通行の消費 | 双方向の対話と構築 |
結果 | モノが増え、ゴミになる | 新しい作品や習慣が生まれる |
もちろん、全てのガチャガチャが悪ではない。だが、少なくとも我が家では、その多くが「手に入れて終わり」の刹那的な消費活動に過ぎなかった。
対して折り紙は、手に入れた後からが本番だった。娘は折り紙と“対話”し、自分だけの作品や夜の習慣という、新たな価値を“創造”したのだ。
ここから導き出せる、子供の「欲しい」を見極めるための問いは一つだ。
そのモノは、子供との間に“その先”の物語を生む「余白」を持っているか?
工夫の余地はあるか。新しい遊びや学びに発展するか。一方的な消費で終わらないか。
この視点を持つだけで、子供との対話は変わる。「ダメ!」と衝動を断ち切るのではなく、「面白そうだね。それで、何をする?」と、創造性のスイッチを押すことができる。
おわりに
新宿の世界堂で出会った、二つの光。
それは娘にとっての宝物であり、私にとっては子育ての羅針盤となった。
子供の欲求という混沌の中には、必ず「創造の種」が隠れている。
我々親の役割は、その小さな種を見つけ出し、水をやり、子供自身が芽吹かせるのを、ただ静かに見守ることなのかもしれない。
もちろん、気分でアイスを買ってしまう日もあるだろう。だが、心の中に**「これは消費か?創造か?」という小さな問い**を一つ持っておくだけで、子育てという名の宝探しの旅は、もっと豊かで面白くなる。
今度、文房具店を訪れたなら、ぜひ「光る折り紙」を探してみてほしい。
その小さな光が、あなたの家庭にどんな物語を運んでくるか。きっと、値段以上の価値ある発見が待っているはずだ。
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