子供のお手伝いは、親の仕事を増やすだけ?“掃除ごっこ”から学ぶ、自主性を潰さない関わり方

子供が「てつだう!」と目を輝かせる瞬間。それは微笑ましい光景であると同時に、親にとっては一抹の不安がよぎる瞬間でもある。「ああ、これで仕事が倍に増えるな…」と。先日、我が家で繰り広げられた5歳の娘による大掃除ごっこは、まさにそんな親の葛藤を象徴するような出来事だった。この記事は、その一部始終の記録。そして、非効率で未熟な子供の「やりたい」という気持ちを、親がいかにして潰さず、未来への大きな力に変えていくか、その関わり方のヒントを探る物語だ。

目次

その一言は、成長の合図だった

土曜の朝。まだ布団の温もりから抜け出せないでいる私に、隣で寝ていたはずの娘が、小さな声で話しかけてきた。

「おとうさん、うちに、だれか あそびにきたら いいのに!」

その言葉に、私は少しだけ驚いて、まどろんでいた意識がはっきりと覚醒するのを感じた。
特定の誰かの名前を挙げたわけではない。
ただ漠然と、「誰か」という他者を、自分たちのテリトリーである「家」に招き入れたい。
そんな欲求が、彼女の中に芽生え始めている。

これまで、彼女にとっての「遊び」は、公園や児童館といった「外」の世界か、あるいは家族という閉じた「内」の世界で行われるものだった。その二つの世界を繋ぎ、自分の“ホーム”に他者を招き入れるという発想。
それは、彼女の世界が、また一つ外側へ向かって広がり始めた、紛れもない証拠だったのかもしれない。

もちろん、5歳児が口にする「呼びたい」と、親が実際に誰かを「招く」という行為の間には、天と地ほどの隔たりがある。相手の親御さんとの連絡、スケジュールの調整、簡単な話ではない。
その全てを正直に説明するのは、野暮というものだろう。私は、彼女のその前向きな気持ちを、まずは肯定的に受け止めることにした。

「そっか、誰か遊びに来てくれたら嬉しいな。じゃあ、そのためには、おうちをピカピカにしておかないとね。お友達がいつ来てもいいように、お掃除しておこうか」

子供をうまく乗せるための方便、という気持ちが半分。そして、彼女の成長の兆しを、具体的な行動に繋げてあげたいという気持ちが、もう半分。私のその言葉に、娘は「うん!」と目をキラキラと輝かせた。

「そうじ、いまからやる!」

その瞬間、彼女の中の「やる気スイッチ」が、カチリと音を立ててONになったのが、私にははっきりとわかった。

20枚のシートが教えてくれた、親の葛藤

私が朝食のパンをトーストしている間に、娘はすでに戦闘態勢に入っていた。リビングの棚から、使い捨てタイプのフロアクリーナーのパックを引っ張り出し、一心不乱に床を拭き始めている。
その姿は、まるで修行僧のようだ。

「そうじする〜!」
その声は、義務感からではなく、純粋な喜びに満ちている。

「おお、いいね。掃除すると、気持ちがいいよな」
私がそう声をかけると、彼女の動きはますます勢いを増す。
「見て!」と差し出されたシートの裏側は、確かにうっすらと黒ずんでいた。
……まあ、その汚れの大半は、昨夜彼女自身が汚した痕跡なのだが、その事実は、今は胸の内にしまっておこう。

フローリングの床をあらかた拭き終えると、彼女の次なるターゲットは、リビングから2階へと続く階段だった。
「かいだんも、ぜんぶやる!」
その意気込みは素晴らしい。だが、ここで私は、親として最初の葛藤に直面することになる。

娘は、階段を一段拭くたびに、おもむろに立ち止まり、手に持ったシートを捨て、パックから真新しいシートを一枚、取り出すのだ。そして、また一段拭き、また新しいシートを、と。
我が家の階段は、おそらく15段ほど。このペースでいけば、あっという間にシートのパックが空になるのは、火を見るより明らかだった。

「なあ、そのシート、まだ裏側も使えるし、1枚で2段か3段くらいは、いけるんじゃないか?」
効率性を重んじる大人として、私は、ごく自然なアドバイスを送ったつもりだった。
しかし、娘はきっぱりとした口調で、私の提案を却下した。

「ううん! これはもう、つかいおわりなの!」

その言葉には、一片の迷いもなかった。
彼女の中には、彼女だけの「掃除の流儀」が存在するらしい。
“一度床に触れたシートは、その役目を終える”。
その、ある意味で潔癖とも言えるルールが、彼女の行動を支配しているのだ。

目の前で、まだ十分に使えるはずのシートが、次々とゴミ箱へと積み上げられていく。
パックの中身は20枚入り。その残量が、みるみるうちに減っていく。
「ああ、もったいない…」
「これって、掃除なのか? それとも、ただの“そうじごっこ”なのか…?」
そんな、現実的な思考が、頭をもたげる。
親として、「正しい使い方」や「節約」という概念を、教えるべきではないのか。

しかし、同時に、もう一人の自分が囁くのだ。
「ここで、口を出すべきではない」と。

彼女は今、自分の意志で、自分のルールに従って、一つのタスクをやり遂げようとしている。
その真剣な横顔に、大人の「効率」という物差しを当てて、そのやる気の炎に、水を差してしまっていいのだろうか。
多少の無駄遣いは、彼女の「やり遂げたい」という経験と意欲への、必要経費ではないのか。

そう、これは「投資」なのだ。
そう自分に言い聞かせ、私は、ただ黙ってその光景を見守ることに決めた。

ひとしきり階段の掃除(という名のシート消費活動)を終えたかと思うと、娘は、今度は私に向かって、予想外の要求をしてきた。

「おとうさんのスマホ、かして。ライトつけて!」

えっ、今? なんで?
ゲームがしたいのか? YouTubeが見たいのか?
一瞬、様々な可能性が頭をよぎったが、私は黙って、ライトをONにしたスマートフォンを彼女に手渡した。すると、彼女は、驚くべき行動に出た。

スマホのライトを、まるで探偵が使う懐中電灯のように、階段の隅や角に、じっと当てているのだ。
そして、浮かび上がった小さなホコリを見つけると、「あ、ここ! ほこり、ある!」と、嬉々として声を上げ、残っていた最後の一枚のシートで、丁寧に、丁寧に、それを拭き取っていく。

思わず、「え…」と声が漏れた。
まさか、5歳の子供が、プロの清掃員のように、「光を当てて、見えにくい汚れを確認する」(プロはやらないか・・)という発想に至るとは。
大人の私ですら、普段の掃除で、そこまでやったことはない。

娘は、私の驚きなど露知らず、「ライトがあると、すっごく よくみえるね!」と、ご満悦の様子だ。
彼女にとって、この掃除は、もはや「ごっこ」ではなかった。
自分なりのやり方で、最高のクオリティを追求する、真剣な「プロジェクト」だったのだ。
その純粋で、真摯な姿に、私は、シート20枚の犠牲など、些細なことだと思わずにはいられなかった。

「ふう、おわった〜!」
全てのタスクを終え、満足げな声を一つ上げると、娘はそのままリビングのソファへ向かい、何事もなかったかのように、別の遊びを始めた。

後に残されたのは、空になったクリーナーのパックと、そして、私だ。
私は、彼女の「仕事」の成果を確認すべく、清掃されたはずの床や階段を見て回った。

……あれ?
……ん?

確かに、目に見える大きなゴミや、黒ずみは、ある程度取れている。
しかし、床全体が、なんとなく湿っており、そこはかとなく“ベタベタ”している。
そして、その湿った部分に、新たなホコリや髪の毛が、見事に吸着してしまっているではないか。

おそらく、使い捨てシートの水分が、乾ききる前に、次々と塗り重ねられた結果だろう。良かれと思ってやったことが、逆に、汚れを呼び寄せる結果になってしまっていた。

正直に言えば、「ああ…これは後で、全部自分でやり直さなきゃな…」という、軽い絶望感が胸をよぎった。
だが、ソファで鼻歌を歌いながら人形遊びに興じている娘の背中に、その言葉を投げかけることは、どうしてもできなかった。

私は、彼女の元へ行き、その頭を撫でながら、こう言った。
「ピカピカにしてくれて、ありがとうな。すごく頑張ったね。おつかれさま」

子供の「やってみたい」という気持ちは、時に、親の仕事を増やす。
結果だけを見れば、非効率で、未熟で、不完全かもしれない。
しかし、その不完全なプロセスの中にこそ、子供の成長の、かけがえのない輝きが、隠されているのだ。

明日からできるアクションプラン

子供が「お手伝いしたい!」と言い出した時、その尊い気持ちを潰さず、未来の「本当の戦力」へと育てるための、父親向けアクションプランを提案する。

✅ まず「ありがとう」から始める。
結果がどうであれ、手伝おうとしてくれた、その「気持ち」に対して、まず最大限の感謝を伝えよう。「ありがとう!助かるよ!」この一言が、子供のやる気の導火線になる。

🟡 「完璧」を求めず、「体験」を目的とする。
親の目的は「家をきれいにすること」かもしれないが、子供の目的は「親と同じことをやってみること」そのものだ。掃除の結果ではなく、掃除という行為を「体験」できたこと自体を、成功と定義しよう。

🟢 子供専用の「装備」を用意する。
小さな雑巾、子供用の軍手、自分だけのスプレーボトル(中身は水でOK)。「自分専用の道具」があるだけで、子供のモチベーションは劇的に向上する。それは、彼らにとっての「変身アイテム」なのだ。

🔵 “あとしまつ”は、親の仕事と割り切る。
子供が寝た後、こっそりやり直す。それでいい。子供の前で「ほら、汚いじゃない」と指摘するのは、百害あって一利なし。今は、親が「見えないところでフォローする」時期だと、割り切ろう。その手間は、未来の自分を楽にするための、先行投資だ。

(おまけ)よくある3つのナゾ

子供のお手伝い、なんで1つのことに、あんなに時間をかけるの?

大人にとって掃除は「終わらせるべきタスク」ですが、子供にとっては「未知の冒険」です。ホコリの形、水の動き、洗剤の匂い、その全てが新発見の連続。彼らは、掃除をしているのではなく、世界を研究しているのです。温かく見守ってあげましょう。

1段1枚のシート消費、経済的に許容すべき?

毎回となると家計を圧迫しますが、子供の「やる気スイッチ」が入った、特別な日のことであれば、それは「教育投資」と割り切りましょう。100円のシートで、子供の「やり遂げた」という自己肯定感が買えるなら、安いものです。…と、自分に言い聞かせましょう。

掃除したのに、逆に汚くなった床。どうすればいい?

笑顔で「ありがとう!」と子供を褒めたたえた後、子供がお昼寝している隙に、無の表情で、黙々と拭き直しましょう。そして、そのベタベタな床の写真をこっそり撮っておき、数年後、思春期になった子供に見せて「あんたも、こんな可愛い時期があったのよ」と、マウントを取るための切り札として、大切に保管しておくのです。

ふりかえりと、すこしだけ心のメモ

「誰かを家に呼びたい」という、娘さんの社会性の芽生え。
それを、親として否定せず、「じゃあ、準備をしよう」と、具体的な行動へと繋げたあなたの導きは、非常に素晴らしい。

たとえ、その結果が、ベタベタな床であったとしても、問題ではない。
娘はこの日、「誰かのために、準備をする」という、もてなしの心の第一歩を、確かに踏み出したのだ。そのプロセスを、イライラせずに、むしろ感心しながら見守ることができた姿勢こそが、娘の「またやってみたい」という、次なる意欲を育てる。

今日のベタベタな床は、未来のピカピカな心を育むための、尊い犠牲だったのだ。

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