「ごはん、まだ?」
鳴き声の主は、猫たち。
子どもと猫が同居する家の夜は、予測不能だ。
今日も、娘と猫の“言葉にならないやりとり”と、5歳児の「ひらがな革命」が、私たちの夜に笑いと混乱を連れてきた。
でもそのなかに、確かにあったのだ。
「気づくこと」と「決めること」と、そして「忘れること」の大切さが。
猫のにゃあは、誰へのメッセージ?
その日の夕食は、いつも通りの風景から始まった。
私と娘と、妻。
三人並んで、ご飯を囲んでいた。
そこへ割って入るように、猫たちが鳴き出した。
「にゃあ、にゃあ!」
明らかに、何かを訴えている。
——あ、猫たちのごはんを忘れていたかもしれない。
「ねえ、おとうさん。ねこのごはん、いつもあげてる時間ってあるの?」
娘のひとことに、私はハッとした。
言われてみれば、朝だったり夕方だったり、わりと適当だった気がする。
「猫たちにごはんあげる時間を、ちゃんと決めたらいいんじゃない?」
唐突だけど、妙に理にかなっている。
「そうだな、何時がいいと思う?」
「うーん……あさの7じと、よるの7じにしようかな」
即答だった。
しかも「わたしが、あげる」と言い切った。
私はちょっと驚きつつ、「いいね、それじゃお願い」と返すと、娘は満足げにうなずいた。
……こういう瞬間に、子どもの“責任感”って芽生えるのかもしれない。
「ピョンス!」と叫んだ5歳児の夜
夕食後、リビングにて。
今日は珍しく「ひらがなの練習をする」と言い出した娘。
とはいえ、私は字がとにかく下手なので、指導は妻に任せることに。
「そこは、もうすこし ながく!」
「ちがうよ、これ見て書いて!」
妻の声にも熱がこもっていく。
最初は静かにやっていた娘も、次第にモゾモゾし始めた。
やがて机に身を乗り出し、大きな声で叫んだ。
「ピョンス!!」
え?
「ピョンス!!ピョンス!!」
何度も、何度も。もう笑いながら連呼している。
なんだそれ。
聞けば、「はね」の部分を書くときに、娘は「ピョンス!」と叫ぶことでリズムをとっていたらしい。
つまり、
「跳ねる=ぴょん」→「ぴょんする」→「ピョンス!」
もはや理屈ではない。
完全に、5歳児のリズム革命。
「“せ”のときも、ぴょんす〜♪」
それ、跳ねてるんじゃなくて遊んでるだけじゃ……。
こうしてひらがな練習は、“ピョンス劇場”に切り替わってしまった。

学習15分、でも親はぐったり
結局、ひらがなの練習は15分ほどで終了。
「今日はこれまで」となった。
娘はまだ元気だったが、妻は明らかに消耗していた。
「なんか、つかれた……」
「眠気がすごい……」
思えば、子どもと向き合って教えるって、本当にエネルギーがいる。
特に、真剣にやろうとすればするほど。
「見本を見て」と言っても見ない。
「そこは違う」と言えばヘラヘラ笑う。
そのくせ、「ピョンス!」で爆笑。
——これで疲れない親がいたら、見てみたい。
猫たちのごはん、どうなった?
お風呂に入り、娘を寝かしつけ、ようやくリビングに戻ると——
猫のごはん皿が、空っぽだった。
「あ……」
そう、さっき「朝7時と夜7時にわたしがあげる!」と宣言したばかりなのに。
結局、今日の“初日”から忘れていたようだ。
まあ、5歳だから仕方ない。
でも、その“決めたことを忘れる”というリアルさが、逆にちょっと愛おしい(ということにしておく)。
私が代わりにごはんを用意すると、猫たちは何事もなかったように食べ始めた。
何も言わない。でも、すべてをわかってるような顔で。
子どもの「自分でやる」は、すぐ忘れる。だから、繰り返し。
子どもが「じぶんでやる」と言ったからといって、
それで完全に任せてしまっていいわけではない。
本人の中では、「やりたい」「できる」「がんばる」が渦巻いているけれど、
そこに「継続」や「責任感」が定着するのは、もっとずっと先だ。
だから、大人がすべきことは——
✅ その気持ちを信じて一度は任せる
✅ でも、こっそり見守っておく
✅ 忘れてたら「一緒にやろうか」と声かける
✅ 失敗しても責めない
……この4つくらいだろうか。
忘れるのが当たり前。
でも、忘れても大丈夫な環境を用意してあげる。
それが、育児における“セーフティネット”のような気がする。
(おまけ)よくある3つのナゾ
ふりかえりと、すこしだけ心のメモ
猫の鳴き声で始まった夜。
ひらがなの練習は10分で“ピョンス劇場”になり、娘の責任感は1時間持たなかった。
でも、どれもが「いまだけ」の景色だった。
「これやる!」と叫ぶ声も。
「つかれた〜」と倒れる妻の姿も。
何も言わず、空の皿の前に座っている猫の姿も。
全部が、小さな家の、小さな奇跡。
明日も、きっと忘れる。
でも、また決めよう。
そして、また笑おう。
“ピョンス”と叫びながら。