知らない子と、すぐ笑い合える力

花粉症の朝、父をそっと待つ娘
花粉症の薬を服用したせいか、朝からどうにも眠気がひどかった。目はしょぼしょぼ、体も鉛のように重く、まるでエンジンのかからない古い車のように、起き上がるのがやっとだった。今日は自分が娘の相手をする当番。せっかくの休日、彼女も楽しみにしていたはずなのに、まさか朝からぐったりしている父親を目にするとは思っていなかっただろう。
それでも、「ちょっとだけ、横になってもいい?」と声をかけると、彼女は「いいよ」とあっさり言ってくれた。そして、そのまま一人で黙々と遊び始めた。おままごとを広げ、時々ぬいぐるみに話しかけながら、私のことは一切気にせず、自分の世界に没頭している。
少しだけ目を閉じるつもりが、いつの間にか1時間ほど眠ってしまっていたようだ。目が覚めると、体は少し軽くなり、頭のモヤも少し晴れていた。彼女の方を見ると、まだ一人で遊んでいた。「ごめんね、待たせたね」と声をかけると、「ううん、大丈夫だよ」とニコッと笑う。
「よし、じゃあ行こうか」と声をかけ、ようやく出かける準備が整った。少し遅めのスタートではあったけれど、娘と出かける時間を、こうしてちゃんと持てたことに、安堵と喜びを感じていた。
知らない子とも自然に笑い合う、こどもたちの力
今日は、電車に乗って浅草へ向かった。目的地は「USキッズランド」。吉祥寺の店舗に比べると空いていて過ごしやすかった。だが、それ以上に驚いたのは娘の振る舞いだった。初対面の子どもたちとすぐに打ち解け、一緒に遊び始めたのだ。小学生低学年くらいの兄妹と夢中で遊び、その後も同年代の女の子と笑い合い、最後には「バイバイ」と手を振って別れる。まるで以前からの友達のように遊び、さっぱりと別れる。
娘の遊び方には、打算的な考えが一切ない。ただ目の前にいる子どもたちと一緒に遊ぶ。それだけだ。名前も知らず、どんな子かも分からないのに、一緒に鬼ごっこをして、遊具を駆け回り、笑い合う。どちらが先に声をかけたわけでもなく、ただ「遊びたい」という気持ちだけで自然に仲間になる。遊びの終わりもあっさりしたもので、「バイバイ」と軽く手を振るだけ。「またね」はない。それでも、確かにそこに楽しい時間があった。
私はというと、マッサージチェアに身を預け、しばしの休息を取ることができた。娘が他の子と遊ぶ様子を眺めながら、こんなふうに自然と人とつながることができる娘が、羨ましかった。
まつり湯で流した疲れと、心に残った時間
遊び疲れたところで、次に向かったのは「まつり湯」。
広い湯船に浸かり、日々の疲れを流す。娘はいつものようにお風呂を楽しみながら、あれこれと話してくる。何気ない会話に笑い、肩まで湯に沈む。お風呂の後は夕食。私はビールを一杯。娘は最初、「ジュース飲んでいい?」と聞いたが、「やっぱり、水でいいや」と静かに言った。遠慮したのか、それとも大人っぽい選択をしたつもりだったのか。どちらにせよ、そのささやかな気遣いが嬉しかった。
帰りの電車では運よく席が空き、娘はすっかり疲れたのか、私の肩にもたれかかっていた。浅草での時間を思い返しながら、こうして一緒に過ごせるのも今のうちなのかもしれないと思う。あの遊び場で出会った子どもたちと、娘が再び会うことはないだろう。それでも、娘が笑い、夢中になって遊んだ時間は、たしかにそこにあった。