よく食べた日は、心が元気な証拠だった

子どもがよく食べた日は、心が元気な証拠
中野セントラルパークの「鎌倉パスタ」。
娘とふたりで訪れた休日の昼は、都会の喧騒を忘れさせてくれる特別な時間だった。
大きな窓から差し込むやわらかな光、新緑が風に揺れる様子──ここが中野の真ん中だなんて信じられない空間で、心がすっと落ち着く。
娘が選んだのは、以前私から一口もらって「美味しい!」と喜んでいたジェノベーゼ。
その時そういえば、「次はジェノベーゼを注文する」と言っていた。
ひと口、またひと口とパスタを口に運び、焼きたてのパンができた合図が聞こえると「持ってきて!」と満面の笑み。
私はパンを取りに行く係。
結果、パスタはほぼ完食、パンはなんと5個。
普段はそこまで食べないのに、今日はすごかった。(好きなものだとよく食べる)
けれど、その食べっぷりからはただの「食欲」以上のものが見えた気がした。
しっかり食べられるというのは、体だけでなく心が安定している証でもある。最近、こういう日が少しずつ増えてきた。
それが、なんとも嬉しい。
『おかあさん、ごめんなさい』で泣きそうになる
ランチのあと、「絵本ラウンジLOOP なかの」へ。
よく行くので、ここの1年間フリーパスを持っている。
娘と一緒に選んだのは、ヨシタケシンスケなど、我が家の定番とも言える絵本たち。7〜8冊を並べて、次々に読み進める。
その中で、ふと目に留まったのが『おかあさん、ごめんなさい』(なかにし たつや)。
何気なく手に取った一冊だったけれど、これが心にずしんと響いた。
ページをめくるごとに、胸がじんわりと温まり、どこか締めつけられるような感覚に包まれる。物語の中の「親の気持ち」が、まるで今の自分をそのまま描いているかのようで──危うく涙が出そうになる。
娘の前で泣くのはちょっと恥ずかしい。
なんとかこらえたけれど、絵本一冊でこんな気持ちになるなんて思わなかった。
絵本は子どものためのもの。
そう思っていたのは間違いだった。
大人になってから読む絵本は、むしろ「親である自分」を照らす強い光になる。
自転車は進まないし風邪ひきそう
午後は電車で原宿へ移動し、代々木公園で自転車の練習。
前回の練習の成果を試すにはちょうどいい場所だと思った。
ところが、今日の娘はなかなか進まない。
古い自転車のせいか、ペダルが重そうで、前に比べて明らかに走行がスムーズではない。
「全然進まない…」とすぐに弱音が出る。
こちらも「もう今日は無理かもな」と内心くじけそうになる。
でも、ここでやめたら前に進めない気がして、後ろから肩を支え続けた。
倒れないように、バランスを取る。
たった20分、されど全身がじんわり疲れる。
寒空の下で汗をかき、身体の芯が冷えていく感覚──風邪をひきそうだった。
さあ、すぐ風呂に入って温まらなくては・・・寒い寒い。(続く)