湯上がりの会話が深すぎた夜|5歳が語った“誰かと生きる理由”

湯けむりの中で、ふっとほどける時間
汗で冷え切った体を温めるべく、向かったのは原宿の「小杉湯」。まだまだ新しく清潔感があって、心が落ち着く場所。
整理券をもらい、しばらく待つと番号が呼ばれる。ちゃんと整理券で規制しているせいか、中は思っていたよりも混んでいない。冷え切った身体を湯に沈めた瞬間、寒さの苦労がすーっと溶けていく。
湯船に並んで浸かりながら、富士山の壁画を見上げる。たったそれだけの、何気ない時間なのに、不思議と心の芯がふっと緩んでいく。
「あ〜〜気持ちいい・・」
言葉には出せないが、体全体でそう叫んでいた。
娘が描いた「一緒の時間」のかたち
湯上がりのラウンジでのんびりしていると、娘が突然紙とペンを手に取り、何かを描き始めた。
見に行くと、
「こないで!みないで!」
「わかったわかった。」
と言って、離れて雑誌を読む。
しばらくすると、ニヤニヤしながら歩いてくる。
「みてみて!」
そう言って見せてくれたのは、先ほどの銭湯に入っていた時の絵だった。頭にタオルを乗せた私。背景には、富士山。
「…これ何?」
「わきげ(笑)!」
観察力や記憶力に驚かされたのはもちろんだが、それ以上に嬉しかったのは、「一緒にいた時間」が彼女の中で形になって、ちゃんと残っているということだった。
結婚って、まかせられること
同じ建物にあるファミリーレストランで夕食をとった後、ハラカドの屋上庭園に向かう。そんな中、娘が話し出す。
「けっこんするなら、25さいかな」
「ん?結婚?なんで25歳?」
聞き返すと、真顔でこう答えた。
「20さいだと、まだわかすぎるし。25さいがちょうどいい!」
その言い方があまりにも自然で、どこか確信めいていて、思わず笑ってしまった。
「なんで、結婚したいと思うの?」
「ドレスもいいとおもうし。ひとりぐらしだとつまらないじゃん。あと、ひとりでごはんつくらなくちゃいけないし、まかせることできないじゃん。だれにも。だから!」
――“まかせることできないじゃん”。
たった5歳の小さな口から、そんな言葉が飛び出してくるなんて思わなかった。
子どもって、もっと夢みたいなことばかりを言うと思っていた。「ドレスが着たい」とか、「キラキラしてるから」とか。もちろん、そういう気持ちもあるんだろう。でも、それ以上に、彼女の中ではすでに“誰かと暮らす意味”が芽生え始めていた。
「まかせることができない」から一人暮らしはつまらない。だから誰かと暮らしたい。
これはもう立派な“結婚観”だ。
どこでそんな発想を得たのかはわからない。絵本かプリンセスの映画か、あるいは僕たち夫婦の日常のやりとりを見ているうちに、自然と染み込んだのかもしれない。
忙しい日々の中で、ご飯作る係、皿洗う係、洗濯する係、娘の相手する係、そんなやりとりが、娘には“誰かと生きる形”として映っていたのかもしれない。
たった5歳で、もうそんなことを思っているなんて。
「そっか。誰かと一緒のほうが、楽しいもんな」
そう言うと、娘はうなずき笑って歩き出す。
さらに上の方へ登っていく。
寒・・でもしばらくついて行くか。