金曜の夜。
定時で上がれたはずなのに、心は妙に淀んでいた。週末を迎える高揚感もなく、ただ疲労だけが肩にのしかかる。そんな夜だった。
洗濯物は、浴室乾燥機がゴウゴウと唸りを上げて回っている。つまり、今夜、我が家の風呂は使えない。
そうなれば選択肢は一つ。
「銭湯へ、行くか」
いつものタオルセットをバッグに詰め、向かうはいつもの「天神湯」。
さあ行こうと玄関のドアを開けた瞬間、アスファルトを濡らす黒いシミが目に入った。雨だ。
「あー…マジか」
思わず漏れた弱音をかき消すように、隣で娘が言った。
「だいじょうぶだよ。いこ!」
その力強い一言で、腹は決まった。もう風呂は使えないのだ。濡れることなど覚悟の上。気合いでGOだ。
自転車を漕ぎ出すと、雨は思ったよりも優しい。頬を撫でる夜風が心地いいくらいだった。
この時の私は、まだ知らなかった。
このありふれた夜が、娘との「限りある時間」を痛感させられる、忘れられない夜になることを。
湯船で聞いた、未来の約束
ガラガラと引き戸を開け、番台で金を払う。脱衣所で服を脱ぎ捨て、湯気の立ちこめる風呂場へ。
今日に限って、垢すりタオルを2枚持ってきていた。娘の分だ。たっぷりの泡で、小さな体を洗ってやる。
「ほら、こうやってゴシゴシすると気持ちいいぞ」
そんな父の説明もどこ吹く風。彼女はシャワーのお湯が描く放物線や、泡の弾ける音に夢中だ。子供の世界は、いつだって発見に満ちている。
熱めの湯船に肩まで浸かり、ふぅ、と長い息を吐く。一週間の疲れが、じわじわと溶けていく。
その時だった。
隣で同じように顔を赤らめていた娘が、ぽつりと呟いた。
「わたしね、はやくしょうがくせいになりたいの」
「うん」
「あのね、8さいになったら、おとうさんのうしろをじてんしゃでこいで、せんとういくの。それでね、ひとりでおふろはいるの。だから、おとうさんはそとでまっててね!」
そうか。そんなことを考えているのか。
8歳になったら、一人前のレディとして、一人で女湯の暖簾をくぐる。父とは外で待ち合わせる。
なんともいじらしく、そして、あまりにも頼もしい未来予想図。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、きゅっ、と締め付けられた。
【現実】東京都の条例と、残り50回のカウントダウン
子供の成長は、いつだって誇らしい。
だが、その成長は時として、親から何かを奪っていく。
私はぼんやりと、銭湯の壁に貼られた注意書きに目をやった。そして、思い出す。
東京都の公衆浴場条例では、7歳以上の男女の混浴は禁止されている。
娘は今、6歳。あと1年半もない。
その事実が、冷たい水のように頭に浴びせかけられた。
逆算してみよう。
1年半は、約78週間だ。
仮に、毎週欠かさずこの銭湯に来たとして、あと78回。
いや、そんなはずはない。
体調を崩す日もあるだろう。台風や大雪で来られない日もある。友達との約束や、家族の予定が入る週末だってあるはずだ。
そうやって現実的に差し引いていくと、実際に娘と男湯に入れる回数は…おそらく、50回もない。
50回。
その数字は、永遠に続くと思っていた日常が、実は明確なゴールテープの置かれた有限のトラックであることを、残酷なまでに突きつけてきた。
一回一回が、とてつもなく貴重な時間に変わった瞬間だった。
「いつか」ではなく、「今」を焼き付けるということ
今はまだ、娘は体をうまく洗えない。
背中を流してやれば「あーそこそこ!」なんて大人びたことを言って、気持ちよさそうに目を細める。
髪の毛だって、自分で乾かすのはまだ無理だ。タオルでわしゃわしゃやっても、後頭部だけびしょ濡れだったりする。
その一つ一つが、親としての役割であり、喜びだった。
でも、いつかはそれを全部、自分でやるようになる。
そして、いつか本当に、ひとりで番台を通り、私とは違う色の暖簾をくぐっていく日がやってくる。
それは、とてつもなく誇らしい未来だ。
だが同時に、どうしようもなく寂しい未来でもある。
子どもの成長は、こちらの心の準備などお構いなしに、猛スピードで進んでいく。昨日までできなかった逆上がりが、今日できるようになる。昨日まで知らなかった言葉を、今日突然口にする。
だからこそ、「また今度ね」は禁句なのだ。
「また来週来ればいいや」ではない。
「今、この瞬間」を、五感のすべてで味わい、記憶に焼き付けておかなければならない。
あと何回、この湯船で肩を並べて座れるのだろう。
あと何回、「せなかがかゆい」と、その小さな背中を私に預けてくれるのだろう。
湯気の向こうが、少しだけ滲んで見えた。
湯上がりの牛乳と、焦らないという決意
風呂から上がり、火照った体で腰に手を当てる。定番の牛乳を一気飲み。隣で娘は、大好きな飲むヨーグルトを選んだ。
だが、彼女は私の牛乳瓶をじっと見つめると、「おとうさんとおなじの、のんでみたい」と言い出した。
小さな挑戦。これもまた、成長の証だ。
一口、飲ませてみる。
娘は「うーん…」と難しい顔をして、すぐに自分のヨーグルトへ逆戻りした。
それでいい。焦らなくていい。
牛乳が飲めるようになるのも、一人で自転車に乗れるようになるのも、そして、一人で銭湯に入れるようになるのも。全部、君のペースでいい。
親にできるのは、その成長を急かすことじゃない。
たくさん飲んで、たくさん食べて、元気に大きくなってくれること。その一つ一つの小さな「できた」を、隣で見守り、一緒に喜ぶことだ。
おわりに:限りある時間を、最高の思い出で満たす
雨の日の銭湯。
それは、ただ体を洗いに行っただけの、ありふれた金曜の夜になるはずだった。
だが、娘の無邪気な一言は、私に「時間」というものの本質を教えてくれた。
子供と過ごす時間は、無限ではない。一つ一つのイベントには、必ず終わりが来る。おむつ替え、抱っこ、手をつないでの散歩、そして、一緒に入るお風呂。
その終わりは、寂しさだけを運んでくるわけではない。子供が新しいステージへ進んだという、何よりの証拠なのだ。
だからこそ、私たちは「今」を大切にしなければならない。
このどうしようもなく愛おしい時間を、最高の思い出で満たしていく。それが、親に与えられた、最も尊い使命なのかもしれない。
もしあなたが、お子さんとの時間に少しでも迷いや疲れを感じているなら。
次の週末、タオルを持って、近所の銭湯へ行ってみてはどうだろうか。
熱い湯船に浸かり、他愛もない話をする。
その何気ない時間が、きっと、あなたの心を温め、忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれるはずだ。
残り50回、いや、49回か。
そのカウントダウンを、私は全力で楽しむと決めた。

銭湯時間を楽しむためのチェックリスト
家のお風呂が使えないとき、慌てないための準備メモです。
✅ 子ども用の垢すり or ボディタオル
✅ シャンプー・ボディソープ(使い慣れたものがベター)
✅ 替えの下着・タオル(2枚あると安心)
✅ 湯上がりの飲み物(冷たいものと温かいものを両方想定)
✅ 自転車での移動ならレインカバー or タオルを一枚多めに
(おまけ)よくある3つのナゾ
ふりかえりと、すこしだけ心のメモ
“あと50回”と数えてしまうと、寂しさが先に立つけれど、逆に言えば“あと50回もある”とも言える。
きっとこの先、娘のほうが先に「もういいや」なんて言うかもしれない。
でもその時は、こっそり牛乳を一気に飲み干してやろう。
「お父さん、すごいね」と言われるその日まで、湯船での小さな勝負を、まだもう少しだけ楽しんでいたいと思う。