春先のある朝、花粉症の薬が効きすぎて、まるで体に鉛が詰まったように起き上がれなかった。「今日は自分の当番だ」とわかっていながら、まぶたは重く、声も出ない。5歳の娘にとっては、楽しみにしていた休日のはず。そんな日に、ぐったりしている父親が横になっている姿を見たら、がっかりしたに違いない。
けれど、娘は何も言わなかった。
「ちょっとだけ、横になってもいい?」と声をかけた私に、「いいよ」とあっさり返事をして、おままごとを始めた。ぬいぐるみに話しかけながら、自分だけの遊びに集中する姿に、少し驚いた。そして、私はそのまま眠ってしまった。
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花粉症の朝、父をそっと待つ娘
春先の花粉症は、例年手強い。特に今年は、処方薬の副作用で、起きてすぐからまぶたが重く、頭の中もぼんやりとしていた。薬が効いている証拠とはいえ、まるでエンジンのかからない旧車のように、身体が全然動いてくれない。
この日は私が娘と1日を過ごす役割だったが、こんなふうに朝から動けないとは、さすがに予定外だった。
「ちょっとだけ、横になってもいい?」と声をかけると、娘はふっと笑って「いいよ」とあっさり答えた。
不満の一言もなく、そのままおままごとを始め、ぬいぐるみに話しかけながら、私のことなど気にするそぶりも見せない。けれど、あれは“気にしていない”のではなく、“気遣っていた”のだと、後から気づく。親が思う以上に、子どもはちゃんと見ている。
「しまった、寝てた……」と気づいた時には、もう1時間近く経っていた。
慌てて身を起こすと、娘はまだ一人で遊んでいた。「ごめんね、待たせたね」と声をかけると、「ううん、だいじょうぶだよ」と笑った。その笑顔に、罪悪感と同時に、深い安心感が広がった。
「よし、じゃあ行こうか」と声をかけ、ようやく出かける準備が整った。少し遅めのスタートではあったけれど、娘と出かける時間を、こうしてちゃんと持てたことに、安堵と喜びを感じていた。

知らない子とも自然に笑い合う、こどもたちの力
向かったのは「USキッズランド浅草店」。
吉祥寺よりも空いていて快適だったが、それ以上に驚いたのは娘の行動だった。
受付を済ませた途端、娘はふらりと遊具に向かい、すぐに他の子どもたちと遊び始めた。小学生くらいの兄妹とキャッキャと走り回り、その後も見知らぬ女の子とまるで親友のように笑い合っている。
名前も聞かず、どこから来たのかも知らない。
それでも、子どもたちは迷いなく、自然と一緒に遊び始める。まるで“遊びたい”という気持ちがパスポートかのように、誰とでもつながる力がある。
「ねぇ、いっしょにやろう!」とか、「いま、アイスクリーム屋ごっこしてるの」といったセリフが飛び交い、大人が間に入らなくても、関係性はぐんぐん育っていく。終わる時も、潔い。
「バイバイ!」と笑顔で手を振る。
それで十分。
「またね」はいらない。
“今が楽しい”がすべてなのだ。
父はマッサージチェア、娘は“誰か”と笑ってる
私はというと、マッサージチェアで一息つかせてもらった。眠気と花粉症のしんどさで、正直しばらく座っていたかった。娘が誰かと遊んでいるという安心感があったからこそできたことだが、その姿を見てふと思った。
自分が子どもの頃、こんなふうに初対面の子とすぐ打ち解けられただろうか?たぶん無理だった。
どこか人見知りで、距離を測っていた記憶がある(今でも)。
でも、娘は違う。誰とでも、すっと同じ空気を作り出せる。それが、なんだか誇らしかった。
まつり湯で流した疲れと、心に残った時間
遊び疲れたところで、次に向かったのは「まつり湯」。
広い湯船に浸かり、日々の疲れを流す。
娘はいつものようにお風呂を楽しみながら、あれこれと話してくる。
何気ない会話に笑い、肩まで湯に沈む。
お風呂の後は夕食。
私はビールを一杯。
娘は最初、「ジュース飲んでいい?」と聞いたが、「やっぱり、水でいいや」と静かに言った。
遠慮したのか、それとも大人っぽい選択をしたつもりだったのか。
どちらにせよ、そのささやかな気遣いが嬉しかった。
帰りの電車では運よく席が空き、娘はすっかり疲れたのか、私の肩にもたれかかっていた。
浅草での時間を思い返しながら、こうして一緒に過ごせるのも今のうちなのかもしれないと思う。
あの遊び場で出会った子どもたちと、娘が再び会うことはないだろう。
それでも、娘が笑い、夢中になって遊んだ時間は、たしかにそこにあった。
休日に体調が悪いとき、どう乗り切る?
🌿 子どもに「体調が悪いこと」を正直に伝える
💬 「ちょっとだけ休ませてくれる?」と相談する
🧸 一人遊びできる環境を用意する(おもちゃ・タブレットなど)
⏰ 目覚ましをセットして、寝すぎ防止
🎉 無理せず、午後からのゆるい外出に切り替える
(おまけ)よくある3つのナゾ
ふりかえりと、すこしだけ心のメモ
朝は動けず、午後からのスタートになった1日。
でも、娘がそっと待ってくれたことが、心に残っている。
親が無理して“完璧な休日”を演出しなくても、子どもはちゃんと楽しい時間を見つけられる。
そして、どんな状況でも“今を楽しむ”娘の姿に、あらためて学ばされる。
親が思う以上に、子どもは強く、優しい。そんなことを実感する一日だった。