えさがない〜」と面白がる娘
夕方、ふと気づくと、猫の餌入れが空になっていた。
ハチワレ猫が、娘の前で「にゃーにゃー」と何度も鳴いている。お腹が空いて、必死に訴えていたのだと思う。
ところが娘は、それを面白がっていた。
「えさがないんだ〜、あ〜あ。どうしようかな〜」
わざとらしく声を伸ばし、何度も同じセリフを繰り返す。
猫の顔の前に手を出してちょっかいをかけたり、目を合わせてはそらしたり。
本人に悪気はないのは分かっている。
ただ、5歳の“おもしろい”は、つい行きすぎてしまう。
相手が困っていることに、まだ気づけないこともある。
そのときだった。
ハチワレ猫が、娘の顔に向かって、ピシッと猫パンチを二発。
一瞬、娘は固まり、数秒して「あーーー!!!」と泣き出した。
顔を押さえていたので心配になったけれど、傷は見当たらなかった。
そばで見ていた妻が、笑いながら言った。
「猫だって、いやなことされたら怒るよね」
私も言った。
「猫でも、友だちでも、“いや”って言うときはあるんだよ」
仲直りは「ごはん」から始まった
「餌が空っぽだから、あげてみたら?」
そう声をかけると、娘はこくんとうなずき、猫元気の袋を持ってお皿にカリカリを注いだ。
ハチワレ猫は待ってましたとばかりに、すぐに食べ始める。
さっきは、ふざけている余裕なんてなかったんだろう。
お腹が空いて、我慢の限界だったのだ。
そりゃ怒るわけだ。
当然の猫パンチ。
でも、食べ終わると、猫は娘の足元に寄ってきて、スリスリと顔をこすりつける。
「仲直りできたね」
ようやく娘も、笑顔を取り戻した。
爪を出さなかった優しさ
「でも、爪が長かったら危なかったよね」
そう妻が言って、猫を抱き上げて爪を見てみた。
たしかに、かなり伸びていた。
ということは、あの猫パンチは、爪をわざと出さなかったんだ。
ちゃんと「やめて」を伝えたけれど、傷つけないように加減してくれた。
その“やさしさ”を思うと、なんだか胸があたたかくなった。
「やさしかったんだね、ハチワレ猫」
そう言うと、娘は静かにうなずき、猫の背をそっとなでた。
何も言わなくても伝わることが、たしかにある。
近づきすぎるとぶつかるけれど、遠すぎると届かない。
“ちょうどいい距離”を探るように、娘と猫は並んで座っていた。
ふたりの間に流れる空気は、さっきよりもやわらかくなっていた。
猫は返事のかわりに、ゆっくりとしっぽを動かしていた。
「あ、でも爪は切らなきゃな。」
ハチワレ猫の爪は、しっかりと切っておいた。