「キラキラのおりがみがほしい」
それは、ある朝突然に始まったことではなかった。どうやら何日か前から、彼女は妻にも同じことを言っていたらしい。ただ、その時も、理由は語られなかった。
何を折るのか。なぜキラキラなのか。どう使うのか。
どれを聞いても、きっと明確な答えは返ってこない。いや、彼女自身もよく分かっていないのだろう。
けれど、その「よく分からないけど、ほしい」が、子どもにとっては真実だったりする。
🎧ブログの出来事をそのまま音楽にしました。 曲はこちら ↓
世界堂で出会った“光る宝物”たち
日曜日。
私と娘のふたりで新宿に出かけた。 目的はひとつ──「キラキラのおりがみを探すこと」。
向かったのは、新宿の世界堂。
3階の折り紙売り場で、両面キラキラの折り紙を見つけた娘は、うれしそうに何種類かを見比べていた。
店員さんに聞いてみると「1階にもありますよ」と教えてくれた。
1階に降りてみると、そこには“暗闇で光るおりがみ”が並んでいた。
これには、親の私も驚いた。
蓄光タイプの折り紙なんて、見たことがなかった。
娘は、迷うそぶりもなく両方を手に取った。
キラキラと光る。昼と夜。
彼女なりに、感覚で選んでいたようだった。
何を折るかは、本人にもわからない
帰宅後、娘はさっそくキラキラの折り紙を取り出した。 折り方の本を見たり、何かを思い出している様子で、テープやはさみを使って何やら制作を始める。
「なにを作ってるの?」と聞くと、 「クラッカー!」と一言。
誕生日会で見たわけでもない。
なぜそれを作ろうと思ったのかは、結局よく分からない。
途中、糸をつけたいと言っていたが、妻に却下されていた。 「猫が食べると危ないから」 確かに、そういう現実的な理由で却下されることもある。
でも、彼女はそこであきらめず、折り紙だけで完成させていた。
現在、クラッカーは2つ。
お気に入りの作品らしい。

寝室の光が変わった夜
光る折り紙は、私の方から照明に当てて蓄光させた。
「これ、ちゃんと光るかな」 そうつぶやきながら、照明に当てたあと枕元に置いた。
いつもなら、常夜灯をつけたままで寝るのが習慣だった娘。
真っ暗だとこわい、とよく言っていた。
でも、この日は違った。
光る折り紙が、うっすらと枕元に光をともしていた。
「これでねる」と言いながら、3枚の折り紙を大事そうに並べていた。
部屋はいつもより暗く、照明はすべてオフ。
目が暗闇に慣れていくと、折り紙のほのかな光だけが浮かび上がっていた。
なんだか、ちょっとした儀式のようにも見えた。
「意味がない」ようで、ちゃんと“心”がある
正直に言えば、娘の欲求はまだまだ短絡的なものが多い。
「ガチャガチャしたい」「アイスたべたい」 本当に、思いついたその場で言ってくる。
特に「ガチャガチャ」については、私には明確なルールがある。
やらせない。
それは、理由がある。
ガチャガチャを見つけるたびに娘はやりたがるが、中身はその場で終わってしまうものがほとんどだ。
小さなおもちゃ類は家にたくさんあり、買っても結局忘れられる。
「欲しがる → 手に入れる → 飽きる」 この流れを繰り返すことに、私は疑問を感じている。
一方で、今回の折り紙のように、「理由はよく分からないけど欲しい」と言いながら、 手に入れたあとでじっくり向き合って、 自分なりの使い方を模索するものもある。
“ほしい理由があるかどうか”よりも、 “その後に何かしらの「関係性」が続くかどうか”が、 判断の軸になるのかもしれない。
子どもの欲求にすべて応える必要はないけれど、 「これは単なる消費か?」「創造につながるか?」 そんな問いかけを、自分の中に持っていたい(だが、買うかどうかはその時の自分の気分にも大きく左右される)。
子どもの「ほしい」をどう受け止める?📝
🎨【聞かなくていい】理由を問わず、付き合ってみる
🛍【一緒に探す】「どれがいい?」と一緒に選ぶ時間を楽しむ
🪄【使い方を見守る】家で何をするかを観察する
🌙【生活に取り込む】子どもが使い方を見つけたら、それを応援する
💬【共感で返す】「すてきだね」「楽しいね」と気持ちに寄りそう

(おまけ)よくある3つのナゾ
ふりかえりと、すこしだけ心のメモ
子どもの「ほしい」は、合理的な世界からすると不思議だらけ。
でも、そこには彼女なりの「世界の見方」や「感じ方」がある。
理由を探す前に、「付き合ってみる」ことの大切さを、今回改めて感じた。
これからも、意味のないようで意味のある「ほしい」に、ちゃんと付き合える親でいたい。