他の子がすごく見えるとき
保育園の帰り道、向こうから来た親子がこんな会話をしていた。
「かんじドリル、きょうも1ページやったよ」
「えらいねぇ、もうそんなのやってるの?」
つい、心のなかでため息が出た。
まだ娘は、ひらがなもほとんど書けない。数字も「4」を逆さまに書いたりする。
……うち、大丈夫かな。
そんなふうに思ってしまう自分が、ちょっと情けない。
でも、たぶん、そういう日って誰にでもある。
去年のいまごろ、娘の毎日は「アンパンマン」で回っていた。
スーパーに行って、アンパンマンが包装されたソーセージを見つけると必ず「アンパンマンだ!」と叫んでいた。
Tシャツにも、ぬいぐるみも、あちこちにアンパンマンがいた。
それが今では、ディズニープリンセスに夢中だ。
ピンクのドレスとか金色のティアラ。
ぬりえはきっちり枠の中を塗るようになって、「きょうは むらさきが すきなの」と、好みもちゃんとある。
ほんの1年で、こんなにも変わる。
そう思えたとき、不思議と他の子のことはどうでもよくなっていた。
1年前にはできなかったこと
他の子が先にできていると、つい焦ってしまう。
つい比べてしまう。
でも、親として必要なのは「何ができたか」じゃなくて、「どれだけ伸びたか」かもしれない。
昨日より今日、去年より今年。
例えば、マグロのお寿司が食べられるようになった。
ちょっとずつ牛乳が飲めるようになった(まだたくさんは飲めない)。
風呂上がりに自分でパジャマが着れるようになった。
「これ、いっしょに たべよう」と、家族のことを考えるようになった。
どれも、去年の彼女にはなかったもの。
成長って、思っていたより静かで、思っていたよりゆっくりで、でもちゃんと進んでいる。
だから我が家では、ルールをひとつだけ決めている。
「他の子とは比べない。比べるなら“去年の娘”だけにする。」
それだけで、ずいぶん気が楽になった。
どれだけゆっくりでも、過去の彼女と比べれば、ちゃんと“できた”がある。
それが見えると、怒る気も失せてくる。
去年まではできなかった「一人で寝ること」が、今ではできるようになった(マジで助かる!)
朝ごはんも少しずつ食べるのが早くなっている(気がする)。
それだけで、十分だと思える。
もうちょっと頑張れた日も、全部「今の娘」として、まるごと受け止めたくなる。
静かに、でも確かに育っている
未来に期待しすぎると、どうしても焦る。
でも、過去に目を向けると、ちょっと優しくなれる。
育児の“ものさし”は、誰かの子じゃなくて、過去のわが子。
今日の我が子が、昨日の自分を少しだけ越えていれば、それで十分。
お出かけするときに、娘がふと手をつないでくれるその瞬間が、もう来年にはなくなっているかもしれない。
そもそも私と二人でお出かけなんか行ってくれなくなる日が来るかもしれない。
そう思うと、「いまここ」に目を向けるしかない。
比べるなら、去年の娘でいい。
できれば、昨日の娘くらいがちょうどいい。
それが我が家の、ちいさな育児ルールだ。